真田丸ファンの「歴史秘話ヒストリア」感想

2月3日放送、歴史秘話ヒストリア
「偉大なる父・信玄よ!
~若きプリンス 武田勝頼の愛と苦悩~」

真田丸ではその苦悩してなお凛々しい姿、
信之や松の人質を解く懐の深さ、そして
悲壮さあふれる最期で話題をかっさらった武田勝頼

彼を中心に据えたヒストリアといわれては、
真田丸を毎週楽しみに見ている人間としては
見ないわけにはいかない。

真田丸武田勝頼は窮地に立たされてからの登場。
そこに至る経緯は触れられない。
 勝頼がなぜあそこまで追い詰められたのか、
その一端に触れることができる内容だった。

勝頼の生い立ち

 武田勝頼武田信玄の四男だった。

彼の通称「四郎」はそれに由来するものという。
四郎の母は武田家が滅ぼした諏訪家の娘。
四郎は幼いころから武田家中に居場所をもたず、
元服して与えられた名も「勝頼」。
諏訪家の「頼」の字を貰い、
武田の子供たちに与えられる「信」の字を
与えられることはなかった。

高遠城に入り諏訪家を継げ。
勝頼に父・信玄から告げられたのはそんな定めだった。

ちなみにこの高遠城、真田丸3話で家康が
信長を迎え入れるための城として
慌ただしく整備をしていた場所でもある。

高遠に実母を弔う場所も建てた(建福寺)
勝頼が諏訪氏を継ぐ者として
その先の人生を送るのは確定的な事かと思われた。

しかし度重なる信玄の息子の失脚により、
勝頼は武田に呼び戻されることになる。

そして武田の跡継ぎと目されてから最初の戦い、
北条氏との戦いで、勝頼は囮を命じられる。

北条の城内へ突入しての大立ち回りで、
敵を引き付け、見事、囮としての役目を果たした。
信玄からも「とても人にできることではない」と
褒めてるのかけなしてるのか微妙な評価を受けた。

その後も、織田・徳川との戦いに参戦し、
真田丸ファンには武藤喜兵衛=真田昌幸
徳川家康を追い詰めたことでおなじみの
三方ヶ原の戦いでも活躍をおさめる。

勢いにのる武田と勝頼だったが、
その最中、信玄が病に倒れてしまう。

病床の信玄から勝頼に告げられたのは、

「お前は次の当主ではない」

という衝撃的な一言だった。

次の正式な当主は、勝頼ではなく勝頼の息子・信勝。
勝頼はその間を埋めるための仮の後継者、
「陣代」に任ぜられた。

真田丸では武田の「当主」として描かれ、
それゆえの苦悩や決断を迫られていた勝頼。
実は彼はそもそも武田の当主ですらなかった。

そして1573年、武田信玄はこの世を去った。

 信玄の死、勝頼の統治

 信玄は死に際して二つの遺言を残していた。

一つは上記の通り、勝頼が陣代をつとめること、
もう一つは三年の間、信玄の死を隠すこと。

勝頼が武田家を継ぐことには未だ反発があり、
勝頼は武田家中をまとめることに奔走する。

そして信玄の死を隠すためにも策を弄していた。
しかし、武田の動きが鈍ったことを怪しく思った
家康は行動に出て、最終的には信玄の死を確信する。
徳川の同盟相手の織田にもそれは伝わってしまう。

 信長が鉄砲を用いたことで有名な長篠の戦いが始まり、
武田は敗北を喫し、多くの家臣を失ってしまった。

勝頼は北条との和解に舵を切る。
信玄の時代に争っていた相手との和解とあって、
勝頼は必死に骨を砕いた。
北条の家臣になってもいい、とまで言った。
勝頼の真摯な態度の甲斐あって、
武田と北条との間に和解が結ばれ、
勝頼のもとに北条当主の妹(北条夫人)が
嫁いでくることとなった。

 家族の肖像

 北条夫人は、勝頼の継室となった。

勝頼がどれだけ妻・北条夫人と、
息子・信勝を大事にしていたか、
それを示す肖像画が高野山に残っている。

勝頼が描かれたのと同じ空間に、
北条夫人と信勝も描かれているのだ。

敵方・諏訪の出身の母とは早くに死に別れ、
実の父、信玄ともわだかまりをもっていた彼にとって
自分の家族はどれほど大事だっただろう。

 しかし、その幸せの時も長くは続かない。

北条が同盟を一方的に破棄し、織田と同盟を結んだ。

北条にまで攻め込まれ、武田は新府城に拠点を移す。
満を持して、真田丸最初の舞台の登場だ。

その先は真田丸1話と2話で描写された通りだ。
浅間山の噴火、武田の滅亡を告げる狼煙のようなそれを目に、
武田の味方による寝返りは相次ぎ、
新府城からも逃れなければならなくなる。
せめて信勝を守り、いつか武田の再興を。

そう願って山中へと逃げる勝頼だったが、
織田勢の猛追はげしく、勝頼、信勝、
そして同盟が破棄された後も武田に残った北条夫人、
彼ら3人は、山中で死を迎えた。

彼らを弔う寺が、今も残っている。

真田丸3話で家康が勝頼を弔えと言っていたが、
その結果、建てられたのがその景徳院だという。

今でも景徳院には勝頼、北条夫人、信勝、
三人の墓が仲睦まじく並んでいる。

大河ドラマ真田丸」と勝頼

武田勝頼は、多くの困難に見舞われた人だった。
父・信玄が強硬派だったために、
彼の生存中にはうまく行っていた事柄も
死後には綻び、そのしわ寄せが一気に勝頼に来た。

真田丸劇中で勝頼は「父だったらここまで追い詰められない」
と言っていたが、武田が滅びる原因は
もっと以前から着々と蓄えられていたように思える。

真田丸以前の武田家と家康との因縁も
垣間見ることができた。

真田丸の中ではお茶漬けをすすってばかりいる
北条との因縁もいろいろと見えてきたが、
それもこの先、真田丸の中で効いてくるのだろうか。

 真田丸のそれまで、そしてこれからを感じられる
真田丸ファンとして納得の番組だった。