真田丸と『現在』の奥州事情
真田丸にかこつけて地元、宮城もそわそわしている。
真田信繁の子供たちが、伊達家の庇護のもと、
東北で生き延びていたからだ。
宮城県内には真田家と関係する史跡もあり、
真田丸ブームに乗っかって、
観光客を呼び寄せたいと考えている。
(2016.2.29追記:「長野、秋田と真田つながりでタッグを組んだ」という内容だったニュース記事が行方不明になったのでリンクを蔵王の観光案内に差し替えました)
宮城に来た真田家の子息たちは、
伊達政宗の家臣・片倉小十郎重綱に嫁いだお梅。
片倉家に引き取られた次男、大八。
信繁の長男は信繁と共に戦死しているため、
この大八は真田信繁の後を継ぐ者として、
伊達家に仕え仙台真田家をおこすこととなる。
徳川家と対立した信繁の子供たちが生きている。
それは幕府に知られてはいけない情報だったため、
大八は、真田丸でもおなじみ信繁の叔父、
真田信伊の孫だとする家系図を作りその存在を秘匿した。
県内の二つの武将隊にも
伊達武将隊には真田幸村が、
白石戦国武将隊 奥州片倉組には真田幸村と猿飛佐助が
それぞれメンバーとして参加していたりと、
宮城県は真田丸に大きな期待を寄せているのだ。
真田の子供たちが仙台にたどり着いた経緯については諸説ある。真田丸でそれはそもそも描かれるのか、描かれるのなら、どう描かれるか。地元県民としても気になるところだ。
:::関連リンク:::
真田家と宮城の関係が分かりやすく漫画化した
「仙台真田物語」http://www.dokitan.com/sanada/reading/index.html
(真田の郷・蔵王町-PR活動公式ホームページ内)
片倉氏の本拠地、白石市による真田の史跡案内。
真田電子博物館 − 白石市
2016.2.29追記